【書評】売国
今回取り上げるのは、この本です。
kindleでも出ています。
この本の見所を、勝手に一言で表現すると…
- 目に見えているものだけが真実とは限らない。
- レッテルという「決めつけ」は、ときに真実を覆い隠すお札となる。
- 真実は物証によって積み上げられる。推測や心証は、レッテルを通して見ることもできる色の付いた眼鏡である。
- 「国を売る」とは、国の体・形を崩し、その支えとなっていた力を他の国にもたらすことにある。武力ばかりとは限らない。
- 国家を国家たらしめているものは何か?
エンタメ、あるいは小説として読むには面白いのに、この物語から何を考えるかに想いを馳せれば、これほど難しい本は無いと思いました。
東京地検特捜部を舞台に、大物政治家の大捕り物に奔走する若手男性検事の冨永と、かたや宇宙開発という夢舞台を駆け巡る若手女性技師の遥。全く違う絵が描かれつつ、最後の最後にクロスするのですが、はっきり言えば遥パートは殆ど不要に思えてならず、中編小説でも良かったんじゃない?と思わざるをえません。
おまけに、物語の途中で消えてしまった人間はどうしたのか?と思うたり…おっとネタばれになってしまう。
物語の下地は、大変面白かったです。
日本のためにと言っている政治家が、アメリカの利益のために動いている。日本の科学技術のためにと言っている技術者が、アメリカの科学技術のために動いている。言っていることと、やっていることのズレに騙されないためには、「見続ける」ことが重要なのだと思います。
政治家の場合、そのための「選挙」なのですが、日本はおろか世界中を見渡してみてもそれが成功した試しは無いのでは、と思います。
それらしいことを言っていても、中長期的な観点や本質が欠落している人間こそ要注意すべき人間であることも解りました。
その場をおさめるためだけに解決策を導き出すことを「小手先」と言い、さらに確信犯的に本質を捩じ曲げて解釈してミスリードを促す人間を「売奴」と言い、そうして国を危める人間は、題名の通り「売国」と言えるでしょう。
今日を生き延びられない人間は、明日を迎えることはできない。そうやって、明日を考える努力を怠る人にとっては「一時的にアメリカの力を借りることにはなるけど、こうやって今は日本の産業を守ろう」という言葉は、甘い誘惑なのでしょう。
そう言えば、小林よしのり氏の大東亜論でも、条約改正における当時の内閣の動きに関して、こうした御都合主義が批判されていましたね。
当時、外国と交わしていた条約では外国人を裁判にて裁くことができないため、いわゆる「やりたい放題」となっていたわけですが、そのために「日本の大審院(現在で言う最高裁判所)に4人の欧米人判事を任命し、外国人が被告の場合はこの外国人判事を多数として合議裁判をする」という代案をもって、改正に動こうとしたのが当時の黒田内閣であり、大隈外相でした。
国家としての主権である「法治」を国外の人間に委ねるという、まさに主権の放棄以外の何者でもない状況に対し、最終的に来島という青年がテロという手段をもってして強制的に幕を引くのですが、大隈の発想はまさに「売国」的発想ではなかろうか、と思う次第です。
もう1つ。この本では、オチ的な部分において「レッテル」が有効に効いています。今まで自分が触れてきたもの、言われていたもの、報道されたもの、その全てを覆すようなオチになるでしょう。
自分の目で見たもの以外を信じるな、とは言いません。しかし、自分の目で見ていないものは疑ってかかれ、とは言いたいです。あの人が言っていたから。そうした噂が、ときにして人間を虚像化して、見えている以上に大きくしてしまうこともあります。
最後に、私の大好きなドラマ「ケイゾク」で語られていたセリフをもって、この書評を終えるとします。
真実なんていうものは本当は存在しないんだ。 あいまいな記憶の集合体、それが真実の顔をして堂々とのさばってる。だからその記憶の持ち主を消せば真実なんて消えてしまう。