【書評】自民党と戦後史
今回取り上げるのは、この本です。
kindle版も出ています。
- 歴史とは勝者によって築かれるが、敗者の陰無くして築けない。
- 鳩山一郎にとっての緒方竹虎、池田勇人・佐藤栄作にとっての河野一郎や藤山愛一郎、石井光次郎など、勝者は敗者がいてこそ、勝者となれる。
- 敗者無き勝者は存在しない。結果的に、その勝者を積極的に支えようとする人材すらいないことになってしまう。
- 2000年以降、小泉政権からは敗者は単なる敗者であり、忘却の彼方となっている。唯一存在感を示したのは福田康夫ぐらいか。
- 子は親をなかなか超えない、超えられい、それが種の滅亡に繋がる
権力闘争ほど世間の注目を集める抗争劇はありません。
折しも衆議院解散総選挙において、「みんなの党」が路線対立により解党され、闘争の恐ろしさをまざまざと見せつけられた気分です。
この本では、自由民主党の結党から現在の第2次安倍政権までを、主に政策ではなく政争の観点で丁寧にキャッチアップされています。かといって、ある政治家の生涯を丹念に追ったというわけでもなく、ライトに2時間もあれば読めるボリュームです。
常にライトを浴びている部分だけを定点観測しているという意味において、この本の主人公は自民党なのかもしれません。
なぜ自民党は約50年もの間、政権党であり続けたのか?について触れているわけでもなく、ただ政治家同士の抗争が淡々と描かれているわけで、総選挙前に読めば「政治家ってしょうもないなぁ」なんて感慨にふけって選挙に行くのも嫌になるかもしれません。が自分の勤めている会社の次の役員の座を決める権力闘争よりはエキサイティングです。
実際この本は、特に読者層にとって馴染みの薄い吉田政権から田中政権までに注力しているようで、池田勇人の経済参謀だった下村治や名秘書だった伊藤昌哉、岸時代のアジア問題調査会(と戦後賠償の闇)にまで触れています。よく調べてるなーと思います。
こうして表舞台に登場しない人間までも無理矢理浮かび上がらせることで、政治家としての輪郭がより解ります。岸信介や池田勇人の器の大きさなど、現在の麻生太郎や安倍晋三が霞んで見えます。
政治とは常に人間の生業の調整だ、と私は考えていて、法治を司る魅力ある人間こそ「政」治に相応しいと思うのです。
必要なのは人間力であり、自分自身そのものが試されている。実際、現在になっても人気の声が絶えない田中角栄や、池上彰などの玄人筋から評価されている大平正芳など、死後になっても評価の遡上にのぼるような人間が、運命に導かれるように総理大臣になっていくのが政治の世界です。
問題なのは、田中角栄の背中を見ていた竹下登、大平正芳の背中を見ていた加藤紘一(派閥を継いだ鈴木善幸、宮澤喜一は、大平ではなく池田勇人の背中を見ていた)…と、なかなか親を超えられない子供が多いことでしょうか。
背中を見ているだけではダメで、背中を追い越し、顔を見なければならないのですが、それができないのが政治の世界の悩みであり、或いはあらゆる組織に共通する悩みなのかもしれません。
12月にある総選挙で、今の地位を確保するための政治闘争が再び繰り広げられます。選挙は落ちればただの人ですが、何が何でも政治家になるために信条を曲げるべきか。この相反する矛盾を前に葛藤している政治家が多く居るのが、今回の総選挙です。
自分のことに汲々としているような政治家だらけで、親の背中を追い越すなんて100年早いなと考えさせますよね。